knocking on your door(6)
俺の家まで戻ると、ミズノの熱はまた上がっていた。
とにかくベットに押しこんで、もう夜も遅いから眠れと俺は命令した。
ミズノは頭洗いたいなんてふざけた事をヌかしやがって、俺が馬鹿野郎と言うと、笑った。
だから
俺は直ぐにあんなヒョロ男のことなんて忘れていた。
夜中、俺はミズノのうなされる声で目を醒ました。
熱は見るからに悪化していて、ミズノを叩き起こすと俺は夜中だろうが何だろうが粥を食えと一昨日のようにミズノの口の中にレンゲを突っ込んだ。
以前と違ってミズノは半分以上を残したがとりあえず胃の中に物を入れると俺はミズノに解熱剤を飲ませた。
荒い息の合間に、ミズノは弱弱しい声で何度も「すいません」と言って
俺が何も訊こうとしないのに勝手に話し始めた。あの男の言っていたことを。
「斉丸も……、判ったでしょう? 聡志の言っていることは」
そう切り出したミズノの話は唐突過ぎて、俺は思わずサトシって誰だ、と訊き返しそうになった。
「俺は、ホモなんだ……」
白く乾いた唇が呟いた言葉は現実味を帯びていなくて
「あぁ、そう」
俺は軽く受け流した。
ミズノはそんな俺に少し笑って目を伏せ、言葉を繋いだ。
「俺が……家出をしたのはもう五年前のことなんだ」
あれを家出と言うなら、とミズノは付け足して、咳込んだ。
「……間もなくして聡志と知り合って……、一緒に暮らし始めたのは二年前」
汗を流しながら懸命に言葉を紡ぐミズノに、俺はそんな話は興味ないから寝てろ、とは言い難かった。
「聡志は最初優しかったんだけど……、段々、お金がなくなって……きて……」
午前三時の暗闇の中で見るミズノの横顔は夢のように美しく見えた。
「聡志は……やがて俺に客を連れてくるように、なったんだ……」
熱のためか、ミズノの声が掠れた。
闇に浮かぶミズノの横顔、その長い睫に雫が膨らんだ。
「もう良いから寝ちまえ。治るもんも治らねぇ」
俺はとうとう、力ないミズノの体をベットに抑え付けて大きい声を出した。
客ってなんのことだ?
さっぱりわからねぇ。
別に俺は関係ないし、興味もねぇ。
俺の今の関心はミズノの熱がいつ完治するの勝手ことだけで
それだって、俺のバイトの為だけだ。
ミズノのことなんか、俺は別に知ったこっちゃねぇ。
「お早うございます」
ミズノは俺の部屋で二度目の朝を迎えた。
顔色もいくらか落ち付いている。
「結局床で眠らせちゃって、……ごめんなさい」
ベットの上で体を起こしながらミズノが言うので、俺は体温計を差し出し
「だから俺は床で構わねぇっつってんだろ」
言いながら朝食のメニューを考える。
そう毎日出前を取れるほど裕福じゃない。
とっとと帰れよばーか、と言った所でミズノの熱が下がる訳でもない。
いや、待てよ。
ミズノの熱が下がった時、ミズノはあのアパートに帰るのか? 帰れるのか? また野宿なんかしたら熱をぶり返すだろうし。
ミズノがあの男を嫌っているなら良い、またあの男とアパートで出食わしても何らかの対応策を練ってやることは出来る。
しかしミズノは、あの男を恐れているように、見えるのだ。それでは勝てない。あんな弱ぇ男に良いように操られっぱなしだ。
「よう」
俺はベットの脇に腰を下ろしながら尋ねた。
「あんた、これからどうするつもりなんだ」
まさかずっと俺んちにいる訳じゃねぇだろう? と付け足すと、ミズノは俯いた。
「あのアパートを出てこそこそ別のところに隠れ住むか」
俺だったらそんなことしねぇけどな、何か悪いことした訳でもねぇのに。
そんな俺の意を知ってか知らずかミズノは弱々しく首を振った。
「お金……ないから……」
最初見た時ァどこぞの御曹司かと思ったけど、全然そんな訳じゃなさそうだな。
まぁたとえそうだとしたって家出してきてちゃ金も借りに行けねぇか。
「じゃあどうする? 俺が昨日何にも考えねぇであの男ボコにしちまったお陰でお前、更にあいつと暮らし難くなっただろ」
いや、威張って言うことじゃねぇな。
俺は俯いたきり何も言わないミズノに掌を差し出して体温計を提出させながら頭を掻いた。
熱は三十七度まで下がっていた。それをミズノに伝えると、ミズノは顔を上げてお坊ちゃんという俺の勝手な印象を裏切らない優雅な様子で微笑んだ。――が、直ぐに不安そうに眉根を寄せて目を伏せる。
恐らく、熱が下がって俺の家から追い出されてからの生活を案じているんだろう。
「あー……ま、俺の所為もあるしなァ」
あー、やべぇ。何言ってんだ俺は。
「あんたがあの男に逆恨みされて殺されでもしたら夢見悪ィだろう?」
……そんなに度胸のある男にも見えなかったけどな。
「多少の猶予は与えてやるよ」
俺は、自分が何を考えて言葉を紡いで居るのか極力考えないようにしていた。
俺には昔からそういうところがある。割りと、口先だけの行き当たりばったりの日和見主義でここまで生きてきた節がある。
「え……?」
ミズノが首を傾げて俺を見た。
毒を食らわば皿まで……てやつだ。
「あんたがこの先どうするか決めるまで、ここに置いてやっても良いっつってんだよ」
俺は吐き捨てるように言って、煙草を唇に押し込んだ。ミズノはきょとんとして俺を見ていてから――潤んだ目を細め、紅潮したような頬に桃色の唇を綻ばせて、笑った。
「ありがとう」
「その代わり食事の面倒はみねぇし家賃も入れてもらうし、ちゃんと働いてもらうからな。……熱が下がったら」
その笑顔に見惚れそうになった俺は、苦い煙を吐きながら早口で捲くし立てた。
ミズノはお利口さんに返事をして、また、笑った。
ミズノは体の具合をみて結局バイトを辞め、
奴の熱が下がるのを待ってようやくバイトに復帰した俺は、事務所に顔を出すととっくにクビになっていた。覚悟はしていたので給料を受けとって帰り、その足で新しいバイト先を決めていた。
ミズノはと言うと俺に付き添われて自分のアパートまで荷物を取りに行ったり、殺風景な俺の部屋を掃除したりして二日間を過ごし、ある時突然、いつの間にかバイトを決めてきていた。
「斉丸、俺 喫茶店でバイトすることになったんだ」
コンビニで買ってきたパンに齧り付きながら雑誌を読んでいた俺にミズノはそう報告した。
「あぁそう」
お愛想程度に相槌を打ちながら俺はミルクを嚥下すると、ミズノは体を乗り出し
「斉丸は?」
俺のやる気のない相槌なんか気にもならない様子で質問を続けた。
残りのジャムパンを口に詰め込みながら俺がもごもご答えるとミズノは眉を顰めて「口に物を入れたまま喋らない」と叱った。
「交通整備」
しっかり口の中を空にしてから答えるとミズノはふーん、と呟いて質問を終える、かと思った。
「斉丸って肉体労働ばっかしてるの?」
まだ続くのかよ。
ツッコミを入れたい衝動も、もう慣れ過ぎて何とも思わなくなってきていた。それほどミズノの質問は毎日嫌という程繰り返される。
「俺がウェイターやってたりしたら怖いだろ」
百九十センチのウェイターってどんなだ。
居酒屋ならオッケーか。
「あんたは似合ってるけど俺には、大体あぁいうところでちゃらちゃらバイトしてるようなのと反りが合わねぇ」
偏見かも知れねぇが。でも、ミズノは偏見だと非難することはなかった。
「でも、レンタルビデオ屋さんとか。ほら、斉丸ビデオ好きだろう? 一杯ビデオ持ってるじゃん」
ミズノに言われて、そういえば何週間も前、厄日のあの日に録り損ねた洋画のことを思い出した。
「ビデオでも借りに行くか」
俺は独り言で呟いただけだったが、ミズノはそれを聞きつけて俺も行く、と言い出した。
別に断わる理由もなくて、承知した。