knocking on your door(5)

 俺は結局バイトを休む羽目になり、体温三十八度を行ったり来りのミズノは半分寝たような目で起きていたりいつの間にか眠っていたりを繰り返し、二度目の夜を迎えた。
「…………」 
 病人がベットに寝るのは当然で、熱が引かない人間を床に寝せるなんてのは人非人がやることだ、
 しかし、ミズノがてめぇの勝手で人んちに押しかけて来ているだけで、俺は赤の他人に目一杯の奉仕をしてやっているとは思う。
 いや、しかし。
「……いーよ、俺はどこでも寝られるしよ」
 俺は吐き捨てるように言った。
「でも、俺が勝手に押しかけてきちゃったんだし」
 ミズノは白い顔をしたまま縋り付くように言う。
 いや、確かにミズノの体は小柄かもしれねぇけど。
「俺ガタイでけぇし、そんな丈夫なベットじゃねぇし」
 ミズノから目を逸らして俺は頭を掻いた。
 ――これって普通のことか?
 俺は、他の男の友人を思い浮かべながら想定してみた。しかし新潟から一人上京してきて以来故郷の友人とは一切連絡を断っている俺にとってそんなことは想像にしか過ぎなくて全く判らない。
「……」
 ミズノはまた黙りこんだ。
 俺が昼間、妙なことを考えた所為で妙に意識しちまってるんだろうか。
 それともやっぱりミズノがおかしいのか?
 どっちにしたって、狭いベットにイイ年した男が二人寄り添って寝るなんてぇのは絵面が悪ィぞ。
「でもやっぱり、……」
 言い掛けて、ミズノは口を噤む。
 あー、うざってぇ。
「何だよ」
 言いたいことがあるならはっきり言いやがれ。
「――……、やっぱり、帰ります」
 ミズノは深く俯いて声を絞り出した。
 一体どんな事情があって、ミズノがどんな目に遭ってるのかは知らねぇが、俺にとっちゃこんなお荷物いない方が都合が良い。
 大体バイト先の知り合い程度の人間をなんでこんな世話しなきゃいけねぇんだ。
「そうか」
 俺は紫煙を燻らせながらあっさり応じた。これが例えば相手が女で、くだらねぇ駆け引きの一端として紡がれた言葉だったとしても同じように俺は答えただろう。…だから俺はよく女に殴られたんだが。
 ミズノは俯いたままベットから降りるとふらつく足で玄関に向かった。
「おい、あんたの服乾いてるぜ」
 俺の服着てくなよ、と言うとミズノはゆっくり振り返った。
「どうせですから、洗ってお返しします」
 いつ、どうやって?
 まだバイト続ける気でいんのかこいつ。
 俺は今日休みって連絡入れたけど水野の分までは伝えてない。無断欠勤ということになってるだろう。こういう職種じゃ珍しかないけどおやじどもの心象は悪い筈だ。
 ミズノの服を畳まないまま放り投げると覚束無い足取りで水野はそれを受け取り、頭を下げた。
 おいおい、あんだけ迷惑掛けといてそれだけかよ。
「おい」
 俺は手に挟んでいた煙草を灰皿に押しつけて声を掛けた。ミズノの青白い顔が振り向く。
「居辛くなった、って言ってたけど、誰かと一緒に住んでるんじゃねぇのか」
 溜息と共に最後の紫煙を吐き出すとミズノは弱々しく笑った。
「えぇ、……でも、もしかしたらもういないかも知れないし」
 事情を詳しく聞く気はなかった。しかし、あの非力な腕でセメントを運ぶ根性があるミズノでも耐え切れないような相手なんだろう。
「まだいたらどうするんだ? また野宿か?」
 俺は腰を上げると革のジャケットをミズノに放った。目を丸くしてミズノはそれを受け取る。
「仕方ねぇ、いくら俺だって人殺しにはなりたくねぇからな」
 コートに袖を通して諦めたように言うとミズノは消え入るような声で
「……すいません」
 と言った。
 ここで放っておくならそもそも拾って来なきゃ良かったんだ、そしたら粥を作ることも体温計を買うこともねかったんだからな。
 俺は言い訳染みたことを胸中でぶつぶつ呟きながら、ミズノのアパートへと向かった。
 
 ミズノのアパートは俺の部屋から単車で十分と掛からないところにあった。
 高熱でふらふらの人間をタンデムシートに乗せて走る俺も無茶だとは思ったが、恐らくはこんな体験未だかつて経験したことがないのであろうミズノ坊ちゃんは楽しかったようだ。
「へェ、こんなとこに住んでんのか」
 坊ちゃんに似つかわしくないおんぼろアパート、それが第一印象だった。木造モルタル二階建て、という言葉がしっくりくる感じだ。便所は共同か? と訊きたくなるくらいの。
 ミズノは、単車のケツに乗ってる時の元気は何処へやら、どんよりとした面持ちで黙っていた。
「で? あんたの部屋ってのは何処なんだ」
 訊くと、人差し指だけが答える。その先にある部屋に明かりはない。
「もういねぇみたいだな」
 あー、これで一安心。俺もミズノも今日から快適快眠だ。もっと早くこうすべきだったんじゃねぇのか?
 じゃ、俺は帰るからよ、と爽やかに別れを告げようとミズノを振り返ったその時
「……透!」
 俺の百八十度前方から――つまり背後から、男の声が飛んできた。
 誰よ、透って。
 振り向くと、ヒョロい男が顔を顰めて突っ立っていた。俺よりは小さいものの、ま、ミズノよりはでかいか…百八十に届くかとどかねぇかってとこだな。
 で、あんた誰。
「……聡志、……!」
 俺を挟んで対面しているミズノとヒョロ男は尋常ではない様子で名前を呟きあった後、暫らく黙りこんだ。
「お前……」
 サトシ、と呼ばれたヒョロ男が震える声で言いながら一歩足を踏み出すと、ミズノは一歩退いた。
 ……俺、帰った方が良いんじゃねぇのかな?
 また厄日になったらたまんねぇしな。
 そんなことを考えながらぼんやりと首の後ろに手を置いた時、ヒョロ男の目が俺を向いた。
「てめェは何なんだ」
 俺が訊きてぇよ、と言いたいのをぐっと堪えて俺は首の手を掲げて軽く振った。
「あぁ、俺、関係ないスから」
 小せぇ犬ほどよく吠えるってね、よく言ったもんだ。妙に甲高い声が気に要らない奴だよ。
「じゃあ退いてろよ」
 ま、そりゃそうだ。
 このまま二人に挟まれてんのもしんどいしな、俺ァ明日も仕事あるんだし。
 俺が再び単車に跨ろうとすると
「斉……、」
 ミズノがか細い声を零して、俺のコートの袖口を掴んだ。息が弾んでいる。
 あぁそうだ、こいつ風邪引いてるんだった。
「あのさ」
 俺は敢えて大きい声で言った。
 ヒョロ男もミズノもびくっと肩を震わせる。
「俺、関係ないんだけど、水野サンのバイト先の人間なんだ。そんで、水野サンこの間熱出してぶっ倒れて、看病してやってたんだけど、この人まだ熱引いてないんだよね、話すなら部屋ん中入りなよ」
 俺は目一杯人当たりの良い男を気取って言った。何つーの、あれ。ショセイジュツってやつ?
 すると俺の努力も虚しくヒョロ男は大袈裟に唾を吐いた。
「何だ、お前もう新しい男を見つけたのか? さすが淫売だな」
 俺の目は見ずにミズノに対して男は下司な笑いを浮かべて言う。
 何だ何だ。
 ミズノは何をそんなに小刻みに震えてるんだ。
 どーいうことだ?
 とりあえず。
「おりゃ」
 俺はひょいと足を振り上げて目の前の男の脇腹辺りを蹴りつけた。
「ッ、!」
 不意討ちということだけでもなさそうだが、男はいとも簡単に地面に砂埃を巻き上げて倒れ込んだ。
 俺の背後でミズノが息を飲む。
「いや、俺本当関係ないんだけどさ」
 袖口のミズノの手を振り払う。うぜぇ。
「何か気に要らねぇしな、あんた」
 特に理由もなくケンカ吹っ掛けたって構わねぇだろう? まだ二十二だしな。二十五になったら考え直すけどよ。
「何が関係ない、だ……! 透と寝たんだろう、だからここまで俺を殴りに来たって訳か」
 寝たァ?
 どーゆーことだ、そりゃ。
「さっぱり訳わかんねぇなぁ」
 俺は低く笑って、無様に倒れ込んでいるヒョロ男の額に靴の底を乗せた。 
「第一俺はあんたを殴っちゃいねぇだろ? 俺ァ足癖が悪いもんでね」
 ヒョロ男の手が俺の足首を掴んだ。しかし俺が両手をポケットに突っ込んだまま片足に体重を乗せてやると
 口の端から泡を吹いて男は、ものの数秒でギブアップした。
 弱ぇ野郎が馬鹿言ってんじゃねぇっつーの。
「で?」
 俺は癖の悪い足を引っ込めてミズノを振り返った。
「あんたは部屋に帰るんだっけか」
 明かりが消えたままの部屋を指さして尋ねると、ミズノは少し困ったように黙り込み
「……もう少し、泊めて頂けますか?」
 俺を伺うような目で見て、答えた。