knocking on your door(4)
「あ……あの、お早うございます」
窓から差し込む日の光に眼を細めながら、ミズノがちょっと照れくさそうに言った。
そんな風に言うんじゃねぇよ。虫唾が走る。
「体調どうだ」
俺は昨晩、結局あのまま――ミズノを胸の中に凭れさせたまま自分も眠りこけてしまい、こっちが今度は風邪引きそうだ。
「まだ少しだるい……ですけど、……頭も痛いけど……熱は下がったみたいです」
時計の針が午前十一時を指そうとしている現在、まだミズノは俺の腕の中にいた。
「……だったらそこから早く退け。」
「あっ……す、すいません」
弾かれたように慌てて体を起こしたミズノはさすがに眩暈がしたらしく、眉間に皺を寄せて暫らく俯いた。
昨日の顔色の悪さは尋常じゃなかったが、今朝は幾らか良くなっているようだ。例えて言うなら昨日が死人一歩手前で、今日はただの具合の悪い人間ってとこか。
「馬鹿、寝てろ」
俺はベットから腰を上げて、ミズノを押し倒した。あー、腰がばきばき言ってるぞ。
「……すいません」
少女漫画の主人公みたいにいつもさらさらの髪は汚れて唇は熱の所為で渇き、しゅんとして謝る仕種はいつにも増して力ない。
「何か食いたい物はあるか」
訊いてから、そういや俺も昔熱を出すたびに母親に同じことを言われたなぁと思い出した。
「いえ、あの……食欲、ないんで」
昨日もそんなこと言って粥一杯平らげたじゃねぇか?
ミズノの言葉は無視して俺は腕を組んだ。栄養のある物だよな、こーゆー時は。しかし俺は料理なんて出来たもんじゃねぇし、カップラーメンやファーストフードじゃ栄養の「え」の字もねぇだろうし。
「出前でも取るか」
それともまだ粥の方が良いか?とミズノを振り向くとミズノはベットに肘を突いて半身を起こし
「あ、あの本当に……」
としつこく遠慮の言葉を繰り返した。
「今そんな下らない遠慮をするくらいだったら昨日の内に出てけよ」
起き上がろうとするミズノを抑えつけて低く唸るように言うと、ミズノはしゅんとなった。
「そもそも」
俺は台所に向かいながら言葉を繋げた。
「家に帰れない理由って言うのを聞かせて貰おうか、家出か?」
タオルをぬるま湯に濡らしながら尋ねると、背後から帰って来る筈のミズノの返事はない。
緩くタオルを絞り、ベットに戻るとミズノは深く眼を伏せて黙りこんでいた。
「家出はー―……もうずっと、前からなんです」
ようやく絞り出されたミズノの声は小さく震えているように聞こえた。
俺は汗で濡れた服を脱ぐように指示してからタオルを渡し、新しい服を取りに立ち上がる。
「ここのところ暫らく、人と一緒に暮らしてたんですけど、……そこにも居辛くなってしまって」
俺は新しい服をミズノの頭めがけて放り投げた。
あと、出前のメニューだ。煙草と体温計も買ってこねぇとな。
「帰りたくないから泊まれるところを探してたって?」
俺が皮肉混じりに尋ねるとミズノは首を振り
「ずっと外で眠ってたんですけど……」
タオルを握る手に力を込めて言葉を濁した。
「あーなるほど、そりゃ風邪も引くわな。ほら、早く体拭け」
俺は煙草を唇に咥えながら出前のメニューを探して電話台の下を探った。自分から仕掛けた話とは言え、別に他人の家出の理由まで聞きたい訳じゃない。
「オノダさん」
服のボタンを悠長に外しながらミズノが言う。
「タメ語で良い」
そんなに改まられるような柄じゃない。俺が返すと、ミズノは黙りこんだ。
「……何て呼んだら良いですか?」
暫らく間を置いてから帰ってきた言葉は、タメ語という言葉の意味を理解していないらしいミズノの科白。
「あんたの好きに呼んだら良い」
お、あったあった。
出前承りますと書かれた中華料理屋のメニューを山積みの新聞と雑誌の間から引きずり出して、俺は埃を叩いた。
「下の名前は何ていうんですか」
ミズノはまだちんたら服を脱いでいる途中だった。
あぁ、うざってぇな。話しながら何かやるってことを知らねぇのか?
「貸せ」
俺は手に持ったメニューをテーブルの上に放るとミズノの手からタオルを奪い取って、ミズノの肩をベットに抑え付けた。パジャマのボタンを乱暴に外して
――って、
昨晩は別に何とも感じなかったが、幾ら男同士とは言えこれって結構傍から見るとやべぇ図じゃねぇの?
ま、いいか。
俺は冷え掛けたタオルでミズノの躰をがしがしと拭った。
「斎丸だ」
俺が徐に答えるとミズノは聞き返した。
「斎丸だ。……織野田、斎丸」
俺はこの名前が好きではなかった。四年前に死んだじーちゃんが付けてくれた物ではあったが。
まぁそもそも自分の名前が好きだなんて言える奴ってそういねぇか。
「俺の方が年上なんだから、サイマルって呼んでも良いですよね?」
何が嬉しいんだか知らねぇがにこにこと笑いながらミズノは舌の上で人の名前を勝手に転がした。
「好きにしろ。はい、裏」
俺はミズノの体をひっくり返して背中の汗を拭った。
「っくく、くすぐったい」
ミズノは身を捩って笑った。
じゃれてるんじゃねんだぞ、オイ。
「だったら自分でやれよ」
ごめんなさい、と反省の色を感じさせないミズノの笑い声を聴きながら俺はなるべく力を込めて背中を擦り、自分の中を擽る居心地の悪さを掻き消そうとしていた。
「はい、メシ」
メニューを開いてひらりと振って見せるとミズノはベットの中に身を沈めたまま
「何でも良い……」
と力なく答えた。
また熱が上がったのか? のろのろ着替えてるからだ、馬鹿。
「嫌いなもんがないなら適当に頼むぞ」
電話を掛けたら体温計を買いに出かけよう、と考えながら受話器を上げる。どうやら電話代はきちんと引き落とされているようだった。
ミズノの返事がないのを確認してから俺は中華料理店のおやじに中華丼を二つ注文して電話を切り、浅い眠りの中に落ちたらしいミズノを置いて外へ出た。
今日のバイトどうすっかな。
自分ちに他人を置いたまま外に八時間も出ているというのはどうにも嫌な感じだ。しかもその「他人」がミズノだというのが更に嫌な感じだ。
悪い奴ではない、思ったほど苦手でもないようだし、バイトが終ってからも付き合いたいとは思わないが、俺の最も苦手とするタイプ、とは程遠いようだ。
うざってぇし苛々はするけど、くだらねぇほらを吹いたりはしねぇし訳わかんねぇ自慢もしない、ちゃらちゃらと他人とつるまないと何も出来ないような軽薄な奴には見えなかったしな。
しかしそれとこれとは違った意味で、ミズノを俺の家に置いておくのは嫌だ。
いっそのこと女なら良い。うっかり大家やら、どっか遠くの友達に不意討ちを食らって尋ねて来られても「女か?」で済む。男なら男で、女なら女で良いのだがーー……
そこまで考えて、俺は煙草の自販機の前を通り過ぎたことに気付いて二、三歩引き返す。
ちょっと待て、何を考えてるんだ、俺は?
煙草をまとめ買いしながら俺は、昨夜から結いっ放しの髪を解いて意味もなく舌打ちをした。
ミズノのことを何だと思ってんだ、俺は? あいつは男じゃねぇかよ。
煙草を四つ抱えて薬屋へ入ると、一番安い体温計を買って俺は部屋へ帰った。