knocking on your door(15)

 家から二駅先の現場で突っ立ってるだけの仕事が終わった。
 次の仕事の予定も入れてもらったものの、半月近くも間が空いていて、俺は最初の一週間を眠って食って、の堕落した生活に費やした。
 次の一週間は寝る間も惜しんでビデオを見ることに徹した。
 二日間は洋画を見まくって、その後一日邦画、それからどうしようかと考えてエロビデオに手を伸ばしかけて、やめた。
 残りの四日間強を俺がどうやって過ごそうかとまた寝転び始めた時、電話が鳴った。
 仕事の電話でもない限りは一年の内にいったい何回鳴る機会があるだろうかというほど怠け者の俺んちの電話は否応なしに俺を叩き起こした。
 俺は最初、何の音だか――寝ぼけていたせいもあるけど――把握できなかった。
 やっと電話だと気がついて受話器をとった時には呼び出し音は十回以上鳴った後で、相手がとっとと切っちまわねぇのが不思議なくらいだった。
「……はい」
 ごろごろと枕にこすり付けていたせいで絡まった髪をぐしゃぐしゃと解きながら、俺は通話ボタンを押した。
『――……斉丸?』
 予想はしていた。
 ミズノだった。
「あぁ」
 誰んちにかけてきてんだ、俺に決まってるだろうが、と頭の隅で浮かんだ反論は喉に落ちてくる前に消えた。
 俺は受話器を取るために上げた腰を、すとんとベッドの上に落とした。
 なんだか急に、力が入らなくなったように。
『……元気?』
 電話の向こうはやたらとしんとしていて、どこにいるのか、手がかりさえも掴めない。
『斉丸』
 俺が何も答えないでいると、ミズノは繰り返し俺の名前を呼んだ。
 控えめに、反応を窺うような声。
 俺に怯えてるのか、今度は。忙しいことだ。
『斉丸、……怒ってる? あんな風に、出て行ったりして』
 別に、
 あんたが出て行くことなんて俺にしてみたら
 俺にしてみたら。
『……斉丸。何か、言ってよ』
 ミズノの心細そうな声を耳に強く押し当てながら、目蓋をつむる。
 暗くなった世界には、ミズノの顔も浮かばない。
 もう、あんたのことなんか覚えちゃいねぇんだ。
『斉、』
 もう一度ミズノが俺の名を呼ぼうとした時、
「どこにいるんだよ!」
 俺は、割れるような声で怒鳴っていた。
「斉……っ・斉、丸?』
 か細い声。
 俺の脳裏にやっと、ミズノの顔が浮かんだ。
 それは何でか知らないが俺に組み敷かれて身悶えているミズノの顔で、高潮した頬に汗をじっとりと浮かべて、俺を見上げている。うっとりとした、いやらしい表情。それが、一瞬、俺の頭をよぎった。
 それを思い出してしまったが最後、俺はもう居ても立ってもいられなくなって、胸を掻き毟られるような、意味もなく喚き散らしたいような、そんな衝動を初めて、知った。
「どこにいるんだ、今。そこはどこなんだよ! 言ってみろ!」
 衝動を押し隠すように、俺は更に大声を張り上げた。
 信じられないようなことだが、俺は、大声でも上げていないと今にも泣き出してしまいそうな自分に怯えていた。
『斉丸、怒ってるの?』
 俺は腰を沈めたベッドから立ち上がって、同じ言葉を繰り返した。
 どこにいるんだ、今あんたはどこにいるんだ、と。
 それを知ってどうすることもできないのに。
「――……サトシの、ところか?」
 挙句俺は、思っても見ないことを口にした。
 そんな筈はないんだと判っているのに、俺は、ミズノの神経を逆撫でしたいのか、ミズノを困らせたいのか傷つけたいのか?
 何故?
『――……っ』
 ミズノは言葉を失った。
 肯定じゃない。
 俺の言ったことにショックを受けているのだ。――俺の、望んでもいない「期待」通りに。
 どうして俺はこんなことを言ってるんだ、言いたいことが口を突いて出てこない。
 俺は何を言いたいんだ、ミズノに何を伝えたいんだ?
 ミズノは、何のために俺に電話をかけてきたんだ?
『斉丸。……この間言ったこと、覚えてる?』
 この間?
 いつの、どれだ。
「覚えてねぇよ」
 俺のことを好きだと言ったことか、それとも俺のそばにいたいと言ったことか?
 お前の言うことは嘘だらけだ。
 俺の脳裏におぼろげに浮かんだミズノの顔も、曖昧に微笑んだ。
 だけどその笑顔だって、嘘じゃねぇか。
 知るか。お前のことなんて。
 俺は電話を切った。
 何も考えることをやめた。
 ミズノの言うことを聞かない振りをするのと同じように、あいつの存在自体を無視すりゃいい。
 そうすれば、俺も一人のこの部屋で時間をつぶすことが楽になる。

 仕事がまた始まった頃、街でばったり"サトシ"に会った。
「……よう」
 先に声をかけてきたのは向こうで、声をかけられなかったら俺は――顔なんか覚えちゃいねぇから――判らなかった。
 二度もあんな無様な格好を晒しておいて、よく声なんてかけられるもんだ。
 そう思ってから、いや、声をかけるというのも勇気のいることだ、と俺は肩を竦めた。
「どうも」
 愛想よくして見せようと思った結果、不敵な笑みを浮かべる結果になってしまった俺に、サトシの傍らにべったりと寄り添った男が訝しげな視線を向ける。
「……誰?」
 なよなよとした白い手足しやがって、男らしさもかけらもないが女性的とも言い難い。
 よくもまぁ人目を憚らずそんなに密着できるもんだ、同性同士ということを抜きにしても。
「通りすがりの不良だ」
 俺はサトシの代わりにその男に答えて、肩を震わせながら笑った。
 男は怪訝そうな顔つきを不快そうに歪めて、サトシの背中に体を半分隠してしまった。
「その後、どうよ」
 俺はなんだか上機嫌になって、そんなことを尋ねてみた。
「俺にフクシューしに来ねぇのかよ、おい。待ってるぜ」
 俺は言ってる間にどんどん可笑しくなってきて、声を上げて笑った。
「何、この人……ねぇ、さとしぃ」
 鼻にかかった、媚びるような口調で男はサトシの袖口を引っ張っている。
 ああ、うざってぇ。
 こんな奴が「ミズノ」だったら、俺はどうしてただろう。
 ああ、こんな奴は何をどう間違ってもドボクなんかやらねぇか。
「なぁ、あんた」
 俺はサトシの腕にぶら下がるようにくっついている美少年くんに首を傾げて優しく問いかけた。
「あんた、幸せか?」
 男はサトシに一旦視線を向けて、大きな目を瞬かせて考え込んでから、うん、とうなずいた。
「そーか」
 そりゃ良いことだ。
 家出したわけでもなく、体売らされてるわけじゃなく――サトシがこの美少年君を売ってんのか売ってねぇのか知らないけど――、過去の暗い話もないんだろう。
 そういう奴は俺のいい加減なところを優しさだなんて勘違いすることもない。
 その代わり、脳味噌もなさそうに見えるけどな。
「じゃあな」
 俺は苦虫を噛み潰したような表情をしているサトシに手を振った。
 もう二度と会うこともないんじゃないだろうかと、何となく思った。
 俺の予想はことごとく俺を裏切ることが多いけど、もともとサトシなんてのは――ミズノの言葉を借りて言うなら――俺には関係のない「世界」の人間なんだから。