knocking on your door(16)
淡々とした日々。
また、俺は自分が生きているのか生きてねぇのか判らなくなってきていた。
またエロビを見るようになった。
仕事を変えた。
今度は、レンタルビデオ屋の店員だ。
自給は二割くらい安くなって、家でぐうたらする時間が減った。
店長は24の若いヤロウで、でも気のいい奴で、俺は家でぐうたらする時間もねくなってんのによく一緒に呑みに行ったりして、楽しくやっていた。
思えば高校生の頃までさかのぼっても肉体労働以外のバイトなんてしたことがなくて、その意味でも新鮮で、楽しかった。
時々、ミズノのことを夢に見た。
あいつは相変わらずで、俺はそんな朝、決まって寝不足になっていた。
ミスノ、と、時折思い出したように口に出してみる。
俺が思い出すミズノは初めて俺の家に転がり込んできた時の熱を出しているミズノばかりで、あいつの躰のどこが性感帯だったのかとか、本当にあいつと寝たのかすら忘れかけていた。
あいつの置いていった手紙には「少し」と二度も書いてあったが、少しってどれくらいを指しているんだろう?
あれきり電話も来ない。
いったいあれからどれくらい経ってるんだ?
「オノダぁ、新作AV入ったぞ。借りてくのか?」
店長のワカがカウンターから大きな声で言って、ピンクのパッケージを掲げる。
「おー、女優誰?」
俺は店内の客の目も気にせずに答えた。
返事した俺も俺だが、てめえの店でそんなもんおおっぴらに掲げるワカもどうかしてる。いくら平日の昼間で、客が少ないからってな。
ガラの悪い店だ、俺は胸中の笑いをかみ殺しながらカウンターに戻ると、新入荷のAVを手に取った。
その時、店に一人の女が入ってきて俺をちらりと見てから、CDのコーナーに向かって行った。
「お、オノダ。あの子来てんじゃん」
俺チョイスのAVを受け取りながら、ワカが背伸びをして店内を眺め、俺を小突いた。
「うるせぇよ」
毎日のように店に来ては、CDを借りていく女。ワカが言うには俺に気があるのだそうだが、俺はそーいう木の陰からそっとラブコールを送ってくるような女は好みじゃねぇ。ヤっちまったが最後、無理やり結婚させられそうで。
「いーじゃんか、誘ってみろって」
ワカが声を大きくして笑った。
「ねぇよ」
俺はワカに従業員用の会員カードを押し付けると、他のビデオのパッケージを破った。貸し出しできるようにバーコードを貼り付けて、専用の箱へと放り込んでいく。
「エロビなんか観てる場合じゃねぇだろ」
呆れたようなワカに言われても、俺は聞く耳を持たなかった。
そりゃあ、ホンモノの方が数百倍も気持ちイイだろうけどよ。
「……なんだオノダ、お前惚れた奴でもいんの? 判った、アレだろ。昔の恋人が忘れらんねぇとか、そういうの?」
新譜の並んだCDコーナーの前に立っていた女が、再度カウンターを振り返った。
馬鹿じゃねぇの、聞き耳たててんじゃねーよ。一体幾つなんだかしらねぇけど、恋人とかそういうの抜きにしたって相手にしたくねぇ女だな。
「――……恋愛ってそういうもんじゃねーだろ」
俺は俯いて、呟くように漏らした。
ワカはそれ以上何も言ってこなかった。
その日借りたエロビデオと煙草をワンカートン、それをカップラーメンと缶ビールを抱えて家に帰ると、部屋は冷えきっていた。
電気ストーブのスイッチを入れて部屋を暖めながら、ガスレンジで湯を沸かす。
時計は午前一時を指していた。
これからが俺の生活時間で、朝の五時までビデオを見たり雑誌を読んで、寝て、昼過ぎに出勤。そんな日々だった。
お湯が沸くのを待ちながら風呂に湯を張って、カップラーメンの蓋を開く。
やけに静かな室内に、カサカサとわびしい音を響かせながら粉末スープを麺の上に開けて、沸騰した湯を注ぐ。
時間は二時にさしかかろうとしていた。
耳を刺すような静寂が鬱陶しくて、俺がテレビでもつけようかと手を伸ばした時、カチャリ、と小さな音が聞こえた。
錠をかける習慣がない俺の部屋の扉から。
「……斉丸、ただいま」
ミズノが疲れた様子で立っていた。
俺の頭の中に、いくつもの言葉が瞬時に生まれてはすぐに消え、俺は、それを追うように慌てて口を開いたが、結局何も言えず、
気がつくと、俺は
「! ……っ、斉丸!?」
玄関に駆け出して、力いっぱいミズノを抱きしめていた。
よりによってなんでこんな時間に帰ってきやがる、と言葉が出てこない。
抱きしめた体が冷え切っている。
俺は容赦なく力を混めて、ミズノの体を抱きしめ続けた。
ミズノはただ呆然としていて、やっとのことで俺の口を突いて出てきた言葉は、ただ一言、
「畜生……っ!」
でも、それを聞いたミズノは困ったように笑って、俺の背中を抱き返した。
「ごめんね、斉丸。ごめん……」
いくら抱きしめていても俺の気は済みそうになくて、どうしてこうしているのかも判らねくて、ミズノの言葉もよく判らねぇ。
「あのね、斉丸」
ミズノの声がすぐ耳元で聞こえた。
ラーメンが伸びちまう、そんなことをふと思った。
しかしそうしていないとどうにかなってしまうかのように俺は、ミズノを解放することができなかった。
「俺、……本当の父親に会ってきた」
ミズノの低い声に、俺は少しだけ、腕の力を緩めた。
ミズノがここぞとばかりに少し身を離して、俺の反応を覗き込んだ。
「俺の血の繋がった父親はね、銀行の頭取なんてやってて、すごい金持ちで、美人の奥さんと、三人も子供がいてさ。昔の俺は、それが許せなかった」
ミズノの表情は何て表現したらいいのか判らないフクザツなもので、以前と少し、違って見えた。
「だけど本当は、……美人の奥さんは難病に罹っていていつ死ぬか判らなくて、子供は一人事故で亡くしていて、一人は苛められっ子で、一人は家出しちゃっていて、実は大変なんだ。だったら愛人なんかつくんなよってトコだけど、それも、ただの不倫じゃなくてさ」
長いまつげを伏せて話すミズノの顔を、俺はもっと間近で見たいと思った。
こんなにきつく抱きしめているのに、もっと、近くで。
「俺の母親と父親の間にもすごいドラマがあってさ、――何か、こんなに辛いのって俺だけじゃないし、俺の知らないことって多くって」
俺が、ミズノの冷えた頬にほお擦りするようにしてキスをすると、ミズノは急に声を詰まらせた。
いきなり大粒の涙がぼろんと零れてきて、でもミズノはそれを拭おうともしなかった。
「あの人、俺に土下座して謝るんだよ。申し訳なかった、許してくれって、……何度も、何度も、俺がいいよって言っても、こんなに顔、くしゃくしゃにしてさ」
ミズノの悲痛に歪んだ頬の上を、涙の雫が幾つも落ちる。床に音を立てて弾けるものもあった。
「俺は、どうして今まで、誰のことも許してやれなかったんだろうって、」
しゃくりあげるミズノの声が震えて、か細くなっていく。
「もっと早く、斉丸に会えていたら、もっと早く、あの人を楽にしてあげられた……。斉丸がいたから、俺……」
また俺のせい――いや、おかげ、なのか?
「俺は関係ない。あんたのことだ、俺がいなくたってあんたはいつか、やれたはずだ」
こくり、とミズノは声もなく肯いた。
玄関先のたたきまで裸足で下りた俺の爪先に、ミズノの涙が落ちてくる。
「……でも、斉丸がいてよかった」
俺は言うことがなくなって、ミズノをまたきつく抱きしめた。
「そうか」
ミズノの顔を俺の胸に無理やり押し付ける。両手でその肩を、頭を抱いて、俺の体に縛り付けるようにする。
どこかで水音が聞こえた。
ああ、風呂があふれているんだな。
でも、別にどうでもいいような気がした。
「斉丸、……斉丸」
鼻声で、しかも俺の服に顔を埋めさせられて、くぐもった声のミズノが言う。
「苦しいよ」
身じろぐようにしてもがきながら言う。
電話の時に感じた衝動が、俺の中に再び突き上がってきた。
「ちょっと……、放して」
「嫌だ」
俺はミズノの言葉に反抗して、更にきつくミズノを抱きしめた。
あの喫茶店の女は言った、透くんって今にも壊れそう、なんて。
この俺がこんなに力いっぱい抱きしめてもヒビの一つもはいらねぇのに?
あの女は何にもわかっちゃいねぇ。
こいつは頑丈な男だ。
どうにかなっちまうなんてこともないし、ちゃんと自分で自分の問題も解決してくるんだ。
ただの坊ちゃんなんかじゃねぇんだよ。
「水野サン」
俺はミズノの細い肩を押し潰すように抱きながら、呟くように言った。
「好きだ」
俺の腕の中でミズノは短く鼻を啜った。
今、ミズノがどんな顔をしてるのか俺には見えない。その代わり、ミズノにも俺の顔は見えていない筈だ。
「それを聞くために、俺は自分の過去にケリをつけてきたんだ」
ミズノは穏やかな声で言うと、俺の背中にしがみつくように力をこめて、抱き返してきた。