knocking on your door(10)
古いアニメの主題歌なんかを鼻先で口ずさみながら、やる気のない足取りで歩いているとミズノに言われたことなんか容易に忘れることが出来た。
サトシなんて名前も、喫茶店に来た客のことも、ミズノの家族の話も、その他、全部。
俺が優しいなんてのぁお坊ちゃんの錯覚だ。
――ああ、あいつ本当はお坊ちゃんなんかじゃねぇのか。
そんなこと、どーだっていいや。
人間誰しもそんな勘違いはあるよな。俺にも、ミズノにも。
俺がミズノの言葉を聞き流していくのは、あいつにとっても都合のいいことなんだ。
だから俺の無責任さを、あいつは優しさと呼んでいる。それは悪いことじゃねえ。
だけどその勘違いに惚れられたってたまんねぇや。
結局あいつは一人で恋をしてるんだ。
俺だっていつ、あいつの言う「ひどい男」になるかわかんねぇ。
優しそうな人に限ってひどいことをした、なんてあいつに責める権利はねぇ。
優しさを取り違えてるのはあいつの方だ。
優しさの報酬を見抜けないあいつが悪ィ。
そんなことを言ったらあいつは傷つくだろうか?
俺のことも「ひどいことをした」と誰か別の人間に言うのだろうか。
俺もあいつの中ではサトシと同じランクになるんだろうか。
安心しろ。俺はお前がいなくなっても追っかけたりしねぇし、たまたま入った店にあんたがいても、そのまま出口に一直線だ。
俺はあんな下司な男どもほどあんたに踏み入る気はねぇんだ。
こげ茶色のドアに錠を差し込むと、ドアは開いていた。
ミズノは俺が出て行った後錠をかけるのが常だったから俺は怪訝に思ったが
――ああ、でもあんな風に出て行ったから掛け忘れてんのかな?
がしがし、と頭を掻いて、俺は勢いよくドアを開いた。
その時
「……っだ、聡……志っ・嫌だ……ッ!」
震えるようミズノの声がまず俺の耳に飛び込んできた。
――サトシ?
「あの男と寝てんのか、ここで? ちゃんと金はもらってんのかよ」
ミズノの声に被さって聞こえてきたのは、聞き覚えがあるようなないような声だ。
あの、ヒョロ男か。
「お前の躰は大事な商品なんだぜ。安く扱うんじゃねぇ」
金を払ってもらいてぇのはこっちの方だ。居候を置くようなサイズの家じゃないんでな。
俺はわざとらしく足音を立てながら部屋に歩み入った。
大体ここは俺んちで、ミズノは同居してるわけじゃねぇ。居候だ。招かれざる客だ。俺の留守中に人を連れ込むのはルール違反だな。
「や……っやだ、ぁッ! 聡志、ィっ」
ミズノの声は艶を帯びてきた。鼻に掛かったような、ねちっこい声。
「何だ? あの男あんなでかいナリしてもセックス弱ぇのか? ずいぶん溜まってるみたいじゃねェか透。可哀想にな、一晩に三人も客とってたようなお前が、人並みの男一人に抱かれたところで満足なんかできるわけないよな」
俺はすき放題言ってやがるサトシの背中に、持っていたタバコを投げつけてやろうか、それとも近くの壁を殴りつけてやろうか、少しの間考えてから
壁が壊れては退去時に色々と面倒なので煙草をぶん投げた。
いやいやと首を振るミズノの服をたくし上げながら、背中に覆いかぶさるように抱きしめているヒョロ男の後頭部めがけて。
「ッ!?」
大きく肩を震わせて俺を振り返ったのは、ミズノが先だった。
「てめぇらそういうことは他所でやってくれよ。人ンち上がりこんで何やってくれちゃってんだよ。温和な俺でもいい加減むかっ腹立ってくんべ?」
大袈裟に溜息を吐きながら言ったものの、俺の腹の底は本当に煮えくり返りそうだった。
人が好意で泊めてやってんのに、こんな仕打ちされるなんざぁ、どっちが「ひどいこと」してるんだかなぁ。
「……っさ、……斉丸……」
ミズノが目に見えて唇を震わせながら、悲痛な声を絞り出した。
「早くその汚ねぇケツしまって出てけよ。他所でだったらあんたらがホモやってたって別に俺は関与しねぇからよ、あんた――えぇと、サトシくん? あんたがどう勘違いしてようが別にどーでもいいけどさ、俺は生憎ヤロウのケツなんか見たくもないわけよ」
ぽん、と首の後ろに掌をあて、俺が肩をぐるりと回すと俺の目の色に気付いたのか、以前泡を吹くまで踏みつけられた記憶が蘇ったのか、サトシはじりじりっと後じさって俺から距離を取った。
「何だよ、イイコトしてる最中じゃねェの? そのお坊ちゃんも連れて出てけよ」
俺は恭しく部屋の出口を譲ってやりながら言った。
ミズノが縋るような目を俺に向けたが、俺は軽く鼻で笑い飛ばした。
「帰れないとか何とか言っといて、俺んちにオトコ連れ込んでちゃ世話ねェな。何、お前こいつから逃げてたんじゃねぇの? 俺がヤってやんないから酷い男でも何でもいいから恋しくなっちゃったんか、そりゃ悪かったな」
俺は買ってきたばかりの煙草の封を切ると、苛立つ唇に一本銜えた。
「……ちっ・ちが、……っ、斉丸、聡志は……、……聡志……が……」
ミズノが泣き出しそうな顔をして、俯く。
縮こまった肩が、サトシの手で乱された服を辛うじて引っ掛けた状態で震えている。
「何だってイーよ。とっとと出て行きやがれ、胸糞悪ィ。都合のイイ時だけ『サトシから守って』で、自分がチンポコ欲しくなったら招き入れちゃってよ、そーいうことは俺に関係ないとこでやってくれよ。俺んちはラブホテルじゃないんでさ、ヨロシク頼むわ」
俺が紫煙を吹かした瞬間を見計らって、ヒョロ男がだっと逃げ出した。
どうやら俺は本気で怖がられているようだ。
俺はテーブルの横に腰を下ろして、灰皿を引き寄せた。
「……どうした、早く追っかけてけよ。あんたのキライなセックスの最中だったんだろ」
開けっ放しのドアがゆっくりと元に戻っていくのを眺めてから、ミズノに視線を流す。
サトシに開かれたミズノの股間は、半勃ちの状態から萎えていいもんかどーかと悩んでいるように佇んでいる。
チンポコに一つの人格があれば、の話だけど。
「……俺は……」
ミズノは深く俯いて、今まで聞いたことがないような低い声で呟いた。
恥部を隠そうともしないで立ち尽くし、音量すら小さいものの凛とした感じのする呟きを漏らすその姿は、俺の今までのミズノのイメージとかけ離れて、男らしく見えた。
「誤解されるようなことをした、と思ってる。それは後悔してる」
ミズノの前髪の奥に覗く唇が、機械的に動いている。
俺はそれに思わず見惚れた。
「だけど誤解なんだよ。あくまで誤解だ。俺は聡志を招き入れた訳じゃない。聡志が押し入ってきただけで」
「だけどヤろうとしてたことは一緒だろ?」
ミズノの顔めがけて煙を吐き出す。ミズノは避けようとしなかった。
「違う……っ」
ミズノが首を大きく振る。しかし、またすぐに、唇をきつく結んだ。
「……でも、そうだ、ね……。斉丸から見たらそういう事実しか映らないもんね。どんなに弁解したって、言い訳がましくなるだけだよね」
きっぱりとした口調で言う。
ミズノの項垂れた首筋に、ヒョロ男のつけたキスマークが残っている。
俺は煙草を灰皿に押し付けると、徐に立ち上がってミズノの肩を押した。
「斉、……?」
二、三度と強く押してやるとミズノは足元をふらつかせて、しまいにはベッドに尻餅をついた。
はっとしたように、ミズノが俺を仰ぐ。
恐怖の入り混じったミズノの眸には俺の顔がどう映っているのか知らない。
俺自身も、どんな表情をしてるのかよく判らなかった。
蒼白した肌に手を伸ばし、細い顎を乱暴に掴んで唇を塞いだ。
「ん……っン、……んん!」
もう一方の手でミズノの手首を押さえつけるが、ミズノは全身をベッドの上で暴れさせて抵抗した。
「何だよ、所在無くおっ立ってるチンポコくんを救ってやろうとしてるんだろ? それとも何か、サトシってゆー男には股広げられても俺には駄目なのか」
俺はミズノを逃がさないように馬乗りになりながら、ジーンズのベルトを引き抜いた。
ミズノは悲痛に眉を寄せて視線を伏せていたが、一旦俺の顔を仰ぐと、首を捻ってそっぽを向いた。
「……良いよ」