天使の恋(14)

 俺が三度目の精を武の中に注ぎ込んだ時には、武は失神していた。唇の外にだらりとはみ出した舌には唾液が滴り、時折背筋を痙攣させて。
 どこかで雀の声が聞こえる。朝が来たのを告げる声だ。
 俺は、今まで覚えたこともないような重い重い気持ちで武の肢体を抱きかかえ、寝室へと運んだ。
 窓から差し込む白んだ灯りが寝室のカーテンをも照らしていた。
 気を失ったままの武の顔には涙と涎と、飛び散った――どちらのものか判らない――白濁の汁が飛び散り、武の艶やかな肌を汚していた。
 俺は抱える気持ちの重さで地中奥深く沈んでしまいそうな身を、無理やり引き摺って流しに向かった。タオルを濡らし、武の身が横たわる寝室へ戻る。
 申し訳程度に武の顔をそっと拭ってやった。こんなことで俺のしたことが洗い流せるわけではない。顔だけじゃない、武の全身は俺に汚されているし、それ以上の武の人権まで踏み躙ったのだ、今更顔を綺麗に整えてやることなんて、結局俺が武の綺麗な顔を見たいという自己満足でしかないんじゃないか。
 でも今は、これ以上武の肌に触れたくなかった。俺の指先が掠めただけで、武を侮蔑してしまうように感じる。
 こんなに深い自己嫌悪は、初めてだ。
 嫌がる人間を無理やり犯すなんて、正気の沙汰じゃない。
 俺がして良いことじゃない、武こそそうしたいだろうけど、俺はあたり構わず泣き喚きながら自分を責めたい気持ちに襲われた。
 時間を巻き戻したい。そうじゃないなら、今すぐ自分の存在を抹消したい。どんなに謝罪しても、どんなに償っても、俺が武にしたことの仕打ちは取り返しがつかないことだ。
 俺はベッドに両腕をつきながら、床に崩れ落ちた。
 頭を抱え込んで深く項垂れる。髪に指を絡め、目一杯引き千切ろうとする。こんな痛みでは、武の受けた屈辱の何分の一にも満たないだろうけど。
「――……」
 指に食い込んだ髪の毛を引き絞った時、俺の手に、触れるものがあった。
 反射的に顔を上げると、武が目蓋を薄く開いていた。
 俺を見下すことも責めることもなく、ただ落ち着いた、優しい光りを讃えて俺を見ている。
 ――ひびき、と武の唇が動いた。声は聞こえなかった。
 武の、繊細で儚げな白い指先が俺の手首を滑り、掌を通って、俺が髪の毛を絡めた指先に触れる。
 天使や神がそうするかのように、慈悲の促しで俺の自傷を引き止めて、武はもう一方の手を俺の髪の隙間に梳き入れた。
 ベッドの上で、武が身じろぐ。横たえた体を横臥させて、ゆっくりと俺の顔に近付いてくる。
 朝焼けの透き通った光に照らされた武の動きに呆然と見惚れていた俺の唇に、武の唇が重なった。
「……ひびき」
 今度は掠れた声が出た。
 ――どうして、こんな俺にキスなんてするんだ。
 あんなに、嫌だと泣き叫んだ武をひどい言葉で罵って犯した俺に、武は小さく笑ってもう一度唇を押し付けた。
 小さく啄ばんで、唇を開き、濡れた舌を伸ばして俺の歯列をなぞる。
 徐々に、俺の頭を抱いた武の力は強くなった。
「ン、……んんッ――っん、」
 鼻腔から制止の声を漏らしても、武は容赦しなかった。それほど力強いわけではないものの、俺は炊けるの腕に引き寄せられるようにしてベッドの上に上り、武の上に圧し掛かっていた。
「武、……武」
 その名前を呼ぶだけでも胸がキリキリと痛んだ。
「武、……悪かった。許して……欲しいんだ、あんなことして、――許せるようなことじゃないけど……」
 どんなに謝罪したって、取り返しがつかない。でも、俺は出来る限り謝ることしか出来ずに、声を無理やり絞り出した。
 俺はきっと、疲れきっていたんだ。
 武がいついなくなっても当然だと覚悟することにも、武に踏み込まないと意識し続けることにも。
「ん」
 俺が紡いだ覚束ない謝罪の言葉を、武の唇が遮る。
 武の濡れた四肢は俺の躰に絡み付いてきて、妖艶に俺を誘惑し始めた。
「ぁ、んん……ッ、んン・ん」
 武は俺の股間に自分のものを執拗にこすり付けては、腰をうち震わせて感じていた。
「た、……武」
 俺はどうしていいのか判らず、恐る恐る武の頬に触れた。
 たった今失神から目覚めたばかりで、しかもあんなに嫌がっていたことを。
「欲しい、っ欲しい……の、ひびきの……」
 喘ぐように武は囁いて、俺の背中に爪を立てた。俺の股間で屹立した武のものは何度もイキ過ぎたせいで力なかったが、それでも先端をかすかに濡らしている。
 俺には武が判らない。
 だけどもう、この誘惑には勝てない。
 俺は、朝日が射す寝室で再度、武の中に肉棒を深々と捻じ込んだ。
 たっぷりと精液を注ぎこんだ肉壷の中はねちねちと濡れそぼり、しかし物欲しそうに俺にきつく絡み付いてきて、淫らに蠢いた。
「ア……! い、っイイ、いい、イ……っそこ、もっと深・くッ」
 身を大きく仰け反らせて甘い声で叫ぶ武の腰を抱え、武に言われるまま腰を突き上げた。
「あ! ぁ・あっ、あ……!」
 武の下肢を抱え上げ、俺は膝立ちになって腰を大きく揺さぶった。上体だけをシーツの上に残して身を捩る武は丸く唇を開き、引き攣った高い声を上げて悶えた。
 切なげに歪んだその表情は美しさよりも淫らさにまみれ、俺に犯される悦びに恍惚としていた。
 俺は先刻までの沈んだ気持ちを吹き飛ばすかのように、乱暴に武の腹の中を抉った。男なんて、なんて愚かしいんだろう。
「ア、あぁ……ッ・いいっイイ、ぃ、イイ――……っ! ああ・ア、もう、おかしくなる……ッ・しんじゃ、死んじゃうゥ……っ!」
 深く深く、躰の芯に俺の男根を銜え込んだ武が、奥歯を噛み締め、こめかみに血管を浮き上がらせながら悲鳴じみた声で叫ぶ。
 俺は、キツく締め上げられた武の尻穴に搾り取られるようにしてもう一度、射精した。
「は、っ……ぁ、あ……ダメ、ひびき……抜いちゃ、駄目、まだ」
 熱い息を弾ませながら舌足らずな声で言った武に求められて、俺は武と唾液まみれのキスを交わした。糸を引く舌同士を絡ませて、貪欲にそれを啜りあう。
 気のせいかも知れないけど、そのキスで俺は、武が言った「骨まで蕩けちゃうほど気持ちいい」というのが少し判ったような気がした。
 俺の武に対するセックスだって、どこまで「気持ち」に関係あるのか、もう判らない。八つ当たりや成り行きや、その時の性欲に押し流されているに過ぎないのかも知れない。
「……すき」
 "骨まで蕩けちゃいそうな"キスをした後で、俺の頭を緩く抱きしめた武が俺の耳元でぽつりと呟いた。
「……え?」
 武の指が、俺の髪をやさしく撫でる。
「好き」
「俺のセックスが、だろ」
 そんなの褒められたのは初めてだ。俺が自嘲をこめた苦笑を漏らしながら武の言葉を訂正すると、武は枕に衣擦れの音をさせて、小さく首を振った。
「ひびきが、好きだ」
 小さく掠れているけれど、はっきりと紡がれた武のその言葉の意味が俺の全身を巡るのに、暫くの時間を要した。
「――て、あの……」
 もはや言葉を失った俺に、武はもう一度短いキスをして、それから、笑った。