弾倉の臥狗(11)
「辻、……辻、大丈夫なのか」
一人では歩けない十文字を抱えたまま、とにかく店から離れようと路地を駆けていると、だんだん、見えていたはずの右目まで見えなくなってきた。
冷たい汗が流れていたのも止まり、吐き気がする。
十文字の声がようやく聞こえるまで落ち着きを取り戻した時には、小さな公園まで来ていた。
辻は足を止めて、十文字を地面の上に座らせた。
「辻、血が――血、」
十文字の声が震えている。
どんな顔をしているのか、見えない。夜だからなのか、それとも両目ともいかれてしまったのか。
辻は鉛のように重くなった体を休ませようと膝をつくと、そのまま仰向けに転がった。指一本、動かせる気がしない。
「辻、どうしよう――血が」
いつも歌うように騒がしい十文字の声が鼻声になってしまった。
「お前がしようとしてたことだろう」
人を殺すっていうのは、こういうことだ。辻が、肺の中の息を吐き出すようにして無理に笑うと、十文字が辻の頭を膝の上に抱き上げた。左目に何か押し付けられた。ひどい痛みが辻の脳天まで響いたが、やめてくれとは言えなかった。止血のつもりだろう。
「お前は、……お前は死んだら駄目だ」
雨でも降っているのか、柔らかい布に押さえられていない方の顔の右半分に温かい液体が滴った。
「――友達思いなんだな」
友達っていうものはそういうものなのか。辻にはわからない。
汐に友達を作る方法も教えてやれなかった辻だ。十文字は辻を、むやみに暴力を振るわないなどと言ったが、そんなことはない。だから、友達なんて言われるような相手はいなかった。
「馬鹿、お前なんか、もう友達じゃない」
しゃくりあげながら、十文字が全身を震わせている。
十文字も傷が痛むだろう。辻は腕を擡げようとした。指先まで冷たく、重くなっている。でも、まだ死んだわけじゃなければ、なんとかなる。
「そうか……。お前の邪魔をしたからな」
それでも、十文字が辻のことだけ見てれば、それはそれで残念な気持ちにはならなかった。
無理やり引き上げた腕を、自分の顔に乗せる。左目をおさえた十文字の手を握りしめた。
「違う」
盛大に鼻を啜って、十文字がきっぱりと言い放った。辻に握られた掌は、そのままで。
「やっぱりお前は、俺の部下にする。だから、いいか、俺の言うことを聞け。命令だ。逆らうなよ」
か細くなる十文字の声も、どこか遠くに聞こえる。
死ぬっていうのはこんな気持なのか。
十文字の膝の上で死ぬなら悪くない。不思議とそう思えた。
どうせ死ぬなら、部下でも、友達でも、何でもいい。辻は、この期に及んで唇に笑みが浮かんだのを自覚した。その唇の上にも、しょっぱい、温かい雫が落ちてくる。
「わかったよ、ボス。……どうぞ、ご命令を」
意識が遠のいていくようだ。だんだん、寒さも感じなくなってきた。
十文字の手を握った辻の手に力が入らなくなってくると、今度は十文字が辻の手を握った。きつく、痛いくらいに。
「死ぬな!」
鼻声で発せられた十文字の命令が、小さな公園に響き渡る。
辻は、右の目蓋を震わせながら、薄く開いた。
これが十文字の美しい顔を見る、最後の機会かも知れない。あるいは自分が観る最期の景色かも知れない。それが十文字の顔なら、充分だ。
血まみれの世界の向こうで、十文字の顔が見えた。
涙に濡れて、ぐしゃぐしゃになった顔。辻を見下ろして、とめどなく涙を零している。辻の血を洗い流すように。
「俺の言うことを聞け! 命令だ! 死ぬな! 俺のそばで生きろ!」
十文字はそう言って、辻に覆いかぶさるようにしてきつく肩を抱いた。
温かい。
辻は十文字の腕の中で暗くなった視界に、目蓋を閉じた。
「――わかりました、ボス」