RED(5)
優司が死んで、二年が経とうとしていた。
だけど俺にとってその二年間は長すぎたような短すぎたような、とにかく色んな目に遭った気がする。
体調が元に戻るまで暫く掛かったし、仕事がうまくいかなくて親が不安そうにしているし
でも、アトリエを引っ越したり、個展を開いて成功を収めたりして
未来は結構明るいのかも知れない。楽天的過ぎると言われたら言い返せないけれど。
「あたるあたるあたるーっ」
俺の新しいアトリエに入ってくる、盛大な足音と大声。せめてどっちかに絞って欲しい。
「うるさい」
俺はカットを描く仕事を潔く斬り捨て、初心に帰るつもりで巨大キャンバスにでも挑もうかと思っていた。体を大きく動かして、大きな空白を深く埋めて行きたいと。
収入は減るかも知れないが、アトリエを連名で借りてくれる相方もいることだし、これを俺の生き方にしていきたいと思った。
「ほら、この雑誌。俺のイラスト載ってんの」
すばるは見事に俺の跡を継ぐ形でイラストレーターとして活躍し始めている。
「あ、ここの雑誌の編集長ホモだからな、気をつけろ」
俺はすばるのカットに目もくれないで絵筆を取り出した。
決して広いとは言えない一室に、すばるのブーイングの声が響く。
「何だようーっ、俺のイラスト見ろっつってんのに!」
しまいには駄々をこねる子供のように手足を振り回し始めた。埃を立てるという陰湿な嫌がらせか。
「だってここで原稿描いてたの見ただろう」
折角三部屋あるマンションを借りてそれぞれのアトリエを設けたのに、この頼りない相方はわざわざ俺の部屋に来て原稿を描くことが多い。それを揶揄するように言ってのけると、すばるはカーっと顔を赤くして怒った。
「もういい!」
怒鳴り散らして、そっぽを向く。
俺はそれを見計らったように、すばるの目の前にすばるの手の中にあるのと同じ雑誌を放ってやった。数十分前、コンビニで買ってきたものだ。
「……あたる、これ」
妙な顔をして、すばるが振り返る。
「発売日くらいチェックしてんだよ」
俺が鼻先で人差し指を左右に振りながら言うと、すばるは一瞬息を止めた後で
「なぁぁんだぁ!」
ガッカリしたように、嬉しそうに楽しそうに、大きく肩で息をついた。
俺もそれを見ると笑いがこみ上げてきて、震える手で絵筆を持ち直しながらキャンバスに向き直る。
「ここの編集長ホモって本当?」
絵の具を溶く俺の背後からすばるが野次馬根性で訊いてきた。
「編集部によく、編集長が入れあげてるゲイバーのボーイから電話が掛かってくる」
俺の椅子の背凭れに腹を預けるようにして座ったすばるが、俺のコーヒーを盗み飲みしながら感心したような相槌を打つ。
「よく判るねぇ」
すばるが言うので、
「同じ人種だからな」
あっさりと切り返す。
それから暫く、何描いてんのとかコーヒー全部飲んで良い?などと何気ない話をしていたけど
その時初めて、すばるは訊いた。
「あたるは、やっぱり男の人が好きなんだ」
でも別に特別な話をしているという風ではなくて、訊いたすばるの肩にも力は入っていないようだった。
「そうだな、女の人を好きになったことはないから」
だから俺も、別に大した事ではないように答えた。
「優司、さんが一番好きだった?」
俺は筆を構えたまま、キャンバスから目を離さないで
でも、うろたえた様子を隠すつもりもなく
「ああ」
目を伏せて短く答えた。
「これからも?」
すばるの目は俺を真っ直ぐ見たままだ。射抜かれるような、力を感じる。
「多分ね」
嘘をつく必要も、嘘を言う気もないから正直に答えた。
今はもう、優司の顔を瞼の裏に思い出してもやたらと哀しくなったりはしない。
いつかまた会える、そんな気がする。
「……そっか」
再び視線を上げた俺に、すばるは会話を終わらせようとするように大きく頷いて椅子の背凭れをぐっと押した。でも、立ち上がる前に俺から目を逸らそうともしないで質問を重ねた。
「じゃあ、俺は?」
問い詰めるでもなく、哀しむのでもなく、真っ直ぐな問いかけだった。
俺は構えていた筆を下ろして、すばるを振り返る。
「すばるにとって俺は?」
狡いと言われるのを承知で切り返すと、すばるは面食らったように目を瞬かせてから、俯いて考え込んだ。大して深刻でもなさそうに、でも真摯に。
「尊敬する神野さん?」
答を促すように尋ねると、すばるは首を左右に振る。
「それは違うよ、あたるのことは好きだよ」
確かに今の俺じゃ尊敬出来ないかもな、と意地悪を言おうとして
やめた。
すばるは今真剣な話をしているんだろうから。
「わかんないけど、俺はあたると一緒にいたいんだよ。優司さんがあたるの中にいても全然良いんだけど、だからあたるをそういう意味で好きなのとは違うかも知れないんだけど」
言ってから、すばるは俺に視線を戻してあたるは?と訊いた。
俺は暫く考えて
「すばるは、どう答えて欲しいんだ」
答えにはなっていないが、俺なりに言葉を返した。案の定すばるは、への字口をきつく結んで拳を俺に突きつける真似をして怒った。
「ずるいよあたる、さっきから俺に聞いてばっかり」
俺は大袈裟にすばるの拳を避ける真似をして笑いながら、すばるが実家と完全に決別してから間もなくの頃、一緒に優司の墓参りに行ったことを思い出していた。
もうすぐ優司が死んで二年経とうとしている。
また、二人で花を持って優司の元へ行こう。
そうしたらその時、答えてやろう。