knocking on your door・Ⅱ(7)

「君への償いも、していないのにね」
 絞り出すような声で男は言った。
 俺への、償い?
「何に対する償いですか」
 俺は反射的に問い質した。
 身を乗り出す。
 男が涙に濡れた顔を上げた。顔に刻まれた皺はより深くなり、鼻の下も濡れている。
 俺は、人がこんな風に泣くのを見たことがなかった。
「俺は、血の繋がっていない、父親っていう他人に酷いことをされてきました。そのせいで俺の人生はめちゃくちゃで、俺は何のために、誰のために生まれてきたんだろうと、俺なんていなくても、いなかった方が良かったんじゃないかと、生まれてきたことを呪った。俺を生まれさせたあなたを恨んだ」
 こんなこと今まで、誰にも言ったことなんてなかった。
 口にするには幼稚すぎると思っていたし、いくら俺の反省を語ったところで、どうせ誰にも判ってもらえないんだし、言っても仕方がない、馬鹿げたことだと思っていた。
 だけど多分違う。
 俺は、言い出せなかったんだ。
 俺に詫びる男に唾を吐きかけるようなことを言いながら、俺は泣いていた。
 俺の体に染み付いた罪。
 どうして俺はこんな罪を引きずったまま生き続けなければ行けないのか、これを浄化させることを、どうして誰も許してくれないのか。それならば何故、俺は生まれてこなければいけなかったのか。こんな運命の下に。
「本来なら、あんな男を選んだ母親を恨むべきだったんでしょうが、俺には、それも許されなかった」
 俺には本当の意味の母親がいない。
 俺が子供じゃなくなったのは、いったいいつのことだっただろう。
 夜毎繰り返されるクスリとセックスの宴。
 母親である女は父親という男に狂わされて、自身の意思をなくしていた。
 父親という男は、俺にも精通があったことを知ると子供である俺に実の母親を犯すことを強要した。
 俺は実の母親や腹違いの妹を犯すことを命じられて、いったい誰に、それを虐待だと訴えれば良かったんだろう?
 俺よりも酷い目に遭っているように見える母親を、母親を輪姦するグループに加えさせられている俺が、どうして恨むことができるだろう?
「――あなたを恨むことをどうか、許してください」
 俺は、膝に額をこすり付けるようにして頭を下げた。
 俺はきっと、恨んでもいい相手を探していた。
 俺は俺自身を一番、憎んでいた。
 高校時代、家に帰るのが嫌で転がり込んだ先輩の家で、先輩に犯されても、先輩を恨むべきじゃない。彼の家に泊まった俺が悪いのだ。
 俺がこんな目に遭い続けなければいけないのは、すべて俺のせいだ。
 聡志だってきっと、俺がこんな風じゃなければあんなことを思いつきもしなかったはずだ。
「それで君が救われるなら、私は恨まれて当然だよ」
 老いた男の手が、俺の髪を撫でた。
 俺は涙で息が詰まるのを必死で堪えて、見っとも無くしゃくりあげないように唇を震わせながら顔を上げた。
 男は涙で濡れたままの顔で、微笑んでいた。
「……だけど俺は、今、生まれてきて幸せだったと言えるんです」
 俺が男しか愛せないのも、彼に会うためだったんだ。
 聡志に出会って聡志の元を離れ、そうすることでやっと彼に会えた。
「だから、俺を生まれさせてしまったことへの償いなら、要りません」
 俺が呼吸をするのも苦しいくらいの薄暗い道を辿ってこなければ彼に会えなかったのだというなら、今までの辛さも甘んじて受け入れられる。
「俺がいることであなたを苦しめているのなら、今日まであなたに会いに来れなかった俺を許してくれることが、きっと償いになります」
 俺は唇を緊張させて、一旦言葉を噤んだ。
 微笑もうとしても、上手く笑えない。
 俺は、それを押し隠すように小さく頭を下げた。
「……ごめんなさい。」
 子供が父親に謝る時は多分、申し訳ありません、とは言わないものなんだ。
 俺が、父親に対して告げる最初で最後の言葉を言い切って視線を上げると、男は顔を、本来の形が判らなくなるほどくしゃくしゃに歪めて泣いて、言葉もなく何度も、何度も肯いていた。
 この人も今日まで、こんな風に泣くことができないでいたんだろう。
 どうして俺は今日まで、ここへ足を運んであげられなかったんだろう。
 判ってる。
 彼がいなかったとしたら、いくら年月を経ても、この人を許すことができないでいたはずだ。