knocking on your door(2)
一日で辞めちまうだろうという俺の予想を大いに裏切って、ミズノは今日でかれこれ一週間も現場に通っていた。
「水野さんセメントお願いします」
相変わらず三個しか持てない非力な体を毎日きっちり八時間も酷使していた。雑用、しかも力仕事以外にしか使えねぇし、全くもってこんなバイトにゃ向いてないのに「頑張ってますーッ」を絵に描いたようなミズノに、誰も何も言えなかった。週に二回顔を出す親方でさえ、力がない分すばしっこさで補おうと走り回っている綺麗なおニィちゃんに何も言えなかったんだから。
俺に言わせりゃ、このおやじどもは揃いも揃ってむさい男集団の紅一点、とかなんとか勘違いしちゃってんじゃねぇのか、なんてミズノの尻の穴の心配とかしちまう始末。
ミズノはおやじどもに受けが良く、お花畑みたいな笑顔で家族の温かみの縁遠いのが多いおやじどもをトリコにしていった。それは俺にとって割と都合が良かった、愛想笑いを浮かべにゃならん機会も減ったんだから――そう思ったんだが、ミズノは何を思い違いしたんだか、初日に偶々世話を焼いてやったからって俺にまとわりつくようになり、休憩中や仕事の後の一杯などにおやじに誘われたミズノは必ず俺を連れて行った。
断われる限りは断わってるつもりなのだが――こりゃ近い内びしっと言っとかねばなるまい。
とか何とか思ってる間にとっとと辞めちまう可能性もあるし。
俺じゃねくて、ミズノが。
「オノダくん、鉄筋運んで」
「はい」
俺は、首に掛かったタオルで顎を伝う汗を拭ってから近くのビルの電光掲示板を見た。今日の仕事は残すところ後一時間。
幸いなことに今日はミズノに誘いを掛けられることもないから早々に帰って、ビデオでも借りて観るとしよう。
資材置き場に向かうとミズノがセメント袋と格闘していた。
何やってんだ?
三つどころか、今日は二袋すら持てていない。足許がふらついて――
そういや今日はやけに口数が少なくて、お陰で俺は休憩時間を平和に過ごせたわけだが。
「水野サン?」
俺は舌打ちでもしたいような心境で、仕方なく声を掛けた。
するとミズノは異常なほどの汗を浮かべた顔を上げて弱々しく笑った。
「あ、すいません。セメントですか?」
夕陽すら沈みきってしまったのでよく見えないけど、随分と
「……水野サン、顔色悪くないスか」
額に玉のように浮かんでいる汗はいつもの「走りまわって吹き出た汗」とは違う。脂汗だ。
「あぁ……平気です、このくらい。でもセメント運べなくて……すみません、田辺さん待ってますよね」
立ってるのが必死って風に俺の目には映るが。
セメントを震える手で持って二、三歩進んで――よろめく。
「水野サン」
ひょいと俺が腕を差し出すと、ミズノはどさりと倒れ込んだ。熱い息が弾んでいる。
どーもこーもねぇ、こりゃ熱だ。
「あぁ……どうも、すいません」
ミズノはふらりと立ち上がってセメントを拾い上げようとしていた。
熱っつったってどうせ、苦労知らずのお坊ちゃんが初めて肉体労働しちゃったばっかりに体が悲鳴あげてるんだろう。俺の知ったこっちゃねぇ。これを機にとっとと辞めちまえ。
「あ」
俺の僅か背後で大きな音をたてて、ミズノがまた膝をついた。こみ上げてきた吐き気を飲み下すような呻き声。荒い息。作業服の下がすりむけて血が滲んでいる。
さぁ、俺はさっさと鉄筋運ばねば。
「あ……?! オノダさんッ」
「……その辺に座ってろ」
あぁうざってぇ!
たかがセメントくらい俺なら二往復で運び終わっちまうっつんだよ、鉄筋運ぶのが遅ぇ、なんて怒られるほどの手間じゃねぇ。
「あの、でも、平気ですから」
唇だけ必死に笑って言おうとする二十五歳を軽く手で押し退け、
「いいから座ってろっつってんだよ」
近くのおやじどもが振り返るような声を上げた。
どうかしたのかとミズノに訊くおやじを尻目に俺は黙々とセメントを運び込んでから、鉄筋に手をつけた。途中井上のおっさんにだけは、
「水野サン具合悪いみたいなんで帰らせてやって下さい」
と声を掛けた。
「お疲れさんッした」
皺の寄ったシャツに着替えて、俺は事務所を出た。
さて、ビデオビデオ。この間撮り損ねた映画でも借りようか。あ、煙草も買って帰らなイカン。あと二箱と三本で切らしてしまうのだ。
俺は首の骨を鳴らしながら歩幅も広く、駅に向かって歩き始めた。ミズノのことなんて忘れていた。
その時。
「あ オノダ……さん」
控えめに俺を呼び止める声。
「あの」
俺が振り返ると頭一個分下に
ミズノの顔。
……帰ったんじゃねぇのか?
「さっきはどうも、すいません」
さっさと帰れよ。
脂汗は引いたものの、顔色はまだあまり良くない。
「あぁ、いいスよ別に」
俺が素っ気無く答えるとミズノの表情は更に情けなくなって
「オノダ……さん、怒ってませんか?」
うぜぇな。
女みたいなこといってんじゃねぇよ。そぉいや学生の頃も付き合った女によく訊かれたもんだ、怒ってるの? とかなんとか。てめぇがそういう下らねぇこと訊くからむかついてんだと怒鳴り返したことが何度もあったっけ。
「別にそんなことないスよ」
俺は後ろで結んでいた髪を解いて頭を掻いた。
「あの、これから、食事とかどうですか」
「何言ってんだ」
反射的に低く怒鳴り返すとミズノは怯えた表情になった。
「あんた熱あんだろう? とっとと家帰って寝ろよ」
うざってぇ以前の問題だ。
俺は踵を返して、呆然と立ち尽くしているミズノを残して駅へと急いだ。
何考えてんだ、馬鹿じゃねぇのか? 今までは熱があってもお母様が寝かしつけてくれてたって? 人に寝てろって言われなきゃ寝ることも出来ねぇのかあの王子様はよ。
……てぇ、俺の勝手な想像だけど。
「オノダさん」
背後から追ってくる声。
何だ何だ何だ本当によ!
「……あの、すいません……。家……泊めてもらえませんか」
小走りで俺を追ってきたミズノの額にはまた脂汗が浮いている。
「ちょっと……今、家……帰れな、くて…………」
そう言うなり
土色の顔をした王子様は俺の腕の中に倒れ込んだ。