BLUE(3)

「誰だ、お前……?」
 気がつくと、俺に手を差し出して近寄って来た青年の肩を、俺は思いきり突き飛ばしていた。
 彼の肩には触れることが出来る、優司の幻なんかじゃない。彼の肩には体温がある。優司のあの冷たく固まってしまった体ではない。 
 でも驚いて俺を凝視するその目は、優司のものだ。優司はもういないのに。彼は、誰だ?
「あ……――すいません、
 あの、ちょっと……知り合いに凄くよく似ていたから、……ごめんなさい」
 凍り付いた空気を取り繕うように、俺は彼から目を逸らして頭を下げた。
 先生は未だに目を瞬かせていたけど俺に突き飛ばされた青年は、こちらこそ馴れ馴れしくしてすいませんと言いながらも、どことなく嬉しそうにしていた。

「何で俺なんか」
 と言うのも聞かずに、彼は俺を駅前の喫茶店に誘うと俺の作品について一気にまくしたてた。俺が最初の内に手がけた雑誌の挿絵まで全てチェックしていて、俺は気恥ずかしいのも通り越して呆れ始めていた。
 彼は望月すばる、と名乗った。
 性格はいたって陽気で素直で、声が大きく快活で元気で
 目を閉じて話を聞いていればただの気の良い青年だけど、目を開いて彼を見るとその姿は
「優――……」 
 笑い方も話す時の仕種もまるで違うのに、こんなにも姿形の似た人が存在して良いのかと思うくらいに、優司に似ていた。
 似ていると言うよりも、そのものだった。
「え?」
 話すのを一旦止めて彼が俺の呟きを聞き返した。
「あ、いや……望月くん」
「すばる、で良いですよ」
 望月姓は捨ててるから、と彼は言った。
 彼の家は呉服屋を営んでいてなかなか由緒正しい家柄なのだそうだが、家を飛び出し、イラストで食いたいと言う彼を、母親が勘当したのだそうだ。
「神谷さんのせいですよ」
 そう言って彼は大口を開けて笑った。
「俺のことも、渉で良いよ」
 言ってからはっとした。
 何を考えてるんだ、俺は。
 大口を開けて笑う彼を、
 目の前のジュースのグラスに入った氷を落ち付きなく掻き回す彼を
 優司が大口を開けて笑ったら、優司が落ち付かない様子を見せたらこうなのだろう、などと
 この青年は別の人間なのに。
 この青年が、優司の代わりに俺を渉と呼んでくれたら良いだなんて
 優司の代わりに俺を抱き締めてくれたら良いだなんて
 優司の代わりなんて、有り得ないのに。
「あたる!」
 自己嫌悪で目を伏せた俺がぎょっとして顔を上げると、喜びに顔を紅潮させて、舌っ足らずに『渉(あたる)』と連呼した彼がいた。
「あたる、今度アトリエ見に行っていーですか?」
 満面の、無防備な笑みだ。
 優司はこんな風には笑わない。俺にしか、笑うことのない人だった。

 俺は優司のことを余り知らない。
 俺がイラストを描くために取材に行った先のレストランで働いていて、そこで知り合った。
 最初の印象は冷たくて、あまり接したくないと思った。しかしその後何度も取材に行く中で、彼の身内が倒れたという連絡が入った現場に居合わせてしまった。
 レストランの開店時間を控えた他の人に頼まれるより先に、俺は緊急自体なのだからと自分の車に乗るように彼に勧め、病院へ走った。その時初めて取り乱した優司の姿を見て俺は、惹かれた。
 彼の身内は、間もなく息を引き取った。
 彼について何も知らない俺が掛けてあげられる言葉もなく、黙って傍に立っていた。やがて口を開いた彼が家に帰りたくないというので渋々俺のアトリエへと招き、そこで彼の話を聞いた。
 不慮の事故で命を落とした姉は、彼の唯一の身内だったのだという。もう何年も、彼と姉の二人だけで暮らしてきて、詳しくは話さなかったけれど、両親に裏切られた痛手から誰も信じず、誰にも頼らずに生きてきたのだと
 そうして姉は一人で死んだのだと
 彼は話した。しっとりとした声だった。
 俺は何も言えず、ただ黙ってその湿った唇にキスをした。
 以来、姉と暮らしたあの家に一人で帰るのは嫌だと言ったまま優司は俺のアトリエに居付く様になった。
 気がついたら数年が過ぎていた。