天使の幸福(7)

 目の下に小さくキスをすると、武は擽ったそうに笑った。
「ラブホなんて久しぶり」
 武は俺の首に両腕を回して、凭れ掛かる――というより体当たりしてくるように抱きついてきた。
「ああ、……まァ、俺も」
 お洒落な内観に整えられた室内を眺めながら、俺は苦笑した。
 俺なんて久しぶりも何も、武と初めて出会ったときに来た以来、だ。
 俺の表情を見て、武が首を竦めて笑った。
「何?」
 シャツを脱がしてやろうと、バンザイを促しているのに武は俺にぎゅうぎゅうと抱きついてくるばかりで一向にお利巧にしない。
「なんか、変な感じ」
 何が、ともう一度尋ねても武は可笑しそうに笑うだけで首を振る。
「何だよ」
 怒る振りをして、武を大きなベッドに仰向けに押し倒す。色気も何もない、悪戯で引き摺り倒すようにして。
 武は子供のように甲高い声を上げて笑った。
「だって、ひびきとラブホ入るの二回目なんだよ」
 やたらと楽しそうにしている武のシャツを剥ぎ取ってぽいと背後に放ると、武の細い腕が俺の躰を引き寄せた。
「一度目は、全然何でもなかった。……あんま金もってなさそうだけど、明日の返済に三万足りないくらいだし、まぁこの辺でいっかー、て感じで引っ掛けたお客さんだったのに」
 …………そうだったのか。
 俺は武に引き寄せられるままのしかかった格好で、一時停止した。
「あ、ショック? ……でもさ、なのにひびき、すっごい可笑しいんだもん。どぎまぎしまくりでさ、どぎまぎする客は珍しくないけど、そんなの大抵演技で、結局ヤりてーだけじゃねーかってのばっかりなのに、ひびきは違った。
俺のセールスポイントにも嘘にもいちいち引っかかってくるくせに、なかなか俺のこと抱こうとしないし……でもさ、してくれるとすっげぇイイしさ。すごい、面白いんだもん。ひびき」
 当時の俺を思い返すように視線を上げながら愉快そうに話す武の表情は、今でこそ見慣れたものであるけれど、……やっぱりちょっとむかついてくるな。
 犯罪スレスレくらいの年下の男に弄ばれて、からかわれて、腹ン中で笑われてたなんて。
 あー、もう、なんかやる気なくなってきたなぁ……
 俺が武の上から退いて仰向けに転がると、武が目を瞬かせながら上体を起こした。
「……ひびき?」
 背中をベッドに沈めて不貞腐れている俺の顔を、純真無垢な――だからこそ時に残酷な――天使が覗き込んでいる。
 赤く色付いた唇が、俺に問いかけるようにしてキスをした。
「は・んっ……ン」
 啄ばむ程度に触れてきた唇を、俺は武の頭を押さえて拘束した。無理やり舌をねじ込んで唾液を啜る。
 武は戸惑いも嫌がりもせず、俺の上に躰を滑らせていやらしく絡み付いてきた。
「ン、っ……ん――……ン・ね、ひびき」
 俺の上に重なった武のパンツを引き摺り下ろしながら腰を弄る俺に、武は熱っぽい目蓋を薄く開いて見詰めてきた。
 その唇は俺の唾液に濡れ、歯列の間から微かに覗く舌は、俺の味に染まっている。
 俺が下着の上から武の双丘の形を確かめるように撫でると、武は俺の胸に爪を立てて身をくねらせた。
「俺、……本当は幸せなんだよ」
 俺の顎先に唇を押し付けながら、武がまた目蓋を伏せる。目元には朱が上って、武の瞬き一つで俺はイってしまえるんじゃないかと思うほど、艶っぽい。
「知ってるよ」
 俺は武の背中を押さえながら身を反転させて、武の上に乗りかかった。
 武がまた眸を開く。その眸は情欲のせいかそれとも別の理由でか、潤んだように光っていた。
 武の下着を引き下ろしながら、俺はその上の脇腹に吸い付いた。きつく吸うと、武の肌がじわりと汗ばんで、震える。唇を離した後には俺の所有印がついた。
「すごく――……今、幸せなんだよ」
 下着の下に隠されていた武のものは、既に滾っていた。脇腹から転々と唇を滑らせて、腰骨からゆっくり、中央へと唇を寄せていく。武の指先が、俺の髪に絡みついた。
「うん」
 期待で見る間に反り返っていく肉棒に、脇からちゅうと吸い付く。武が背中を大きく震わせて、反応した。
 唇を押し付けてから、舌を絡ませる。それで誘導するようにしてゆっくりと咥内に含むと、武は泣きじゃくるような声を上げた。
「うん? ……続きは? さっきのこと否定しろよ」
 武は膝を折って腿で俺の頭を挟みながら、腰を突き上げて啼いた。
 俺の髪に掛けた手を離し、薄いシーツを握り締めて快楽に耐えている。……耐える必要なんてないのに。
「さ……っき? 判んな・っ……も、話、は、あとでっ……!」
 唾液をたっぷりと纏わせた俺の舌に舐め啜られて、武は高く突き出した腰を濡らしていた。
 それを受けるように、下に掌を支えさせながら俺は、武の中へと指を忍ばせた。
「ンぁ、っは、……あ」
 ぴくぴく、と小刻みに震えながら、武の入り口は俺の指を誘い込んだ。唾液の滑りを借りてゆっくりと内部を探っていくと、武が丸く唇を開いて可愛い声を上げる。
 俺は武の男根を、尖らせた舌の先で擽るように撫でながら濡れそぼった孔に指を抜き差しした。
「んあっ……ン・んあっ、ぅ……ン、」
 ぐちゅぐちゅと音を立てて肌理の細かい媚肉を掻き乱してやると、折り曲げた武の足がそのたびにビクビクと跳ね上がり、俺が口付ける先端からは止め処なく切ない汁が溢れてくる。
「ひっう、あふ・あ、ぁ……ぃ、あ」
 悶える武の声はどんどん蕩け、眸ももはや恍惚としてどこを見つめているのかよく判らない。唇からは唾液を漏らしながら、俺の指にあわせて腰を振るだけだ。
 俺は武の中を激しく掻き乱すように指の本数を増やして、抽送するたびいやらしい飛沫が飛ぶほど激しく穿った。
「っやァ……っだ、ぁっ・もう、頭おかしくなり……っそう……! くる、ぅ……っやだぁァっ、もう、もう……ひびきィっ!」
 夢中で武の下肢を覗き込み、その爛れた様な肉を弄る俺の腕を、武が弱々しく掻いた。掠めるような爪に俺の全身はゾクと鳥肌を立てて、武の上に獣のように覆いかぶさった。
 条件反射のように俺の背を抱いてくる武の腕は、縋りつくようにきつく、心地良い。
 俺は猛った肉棒を取り出すと武の濡れた蕾に、いきなり深く、埋め込んだ。
「ひ……っ・ア、いッ……あっあ…………!」
 根元までねじ込んだ腰を乱暴に揺すると、武は躰を大きく仰け反らせながら、痙攣したように震えた。
「イ……っあ・イイよぉっ、いい、っひび、きィ……ひ・ア、ふぁああ、あっ・イイ、深い……ッの・大きいのたくさん……あ、あぁ・イイ、ッもっと、もっと頂戴……も、っ……!」
 繋がった下肢からはぶぢゅぶぢゅと、美しい武に見合わないような卑猥で汚い水音が響いてくる。それは俺が武を汚しているんだという気にさせて――俺は、興奮した。
 肌と肌、粘膜と粘膜を擦り付けるだけでは飽き足らず骨ごとぶつけて、磨り減らしてやろうかというほど深く繋がって腰を蠢かせると、武が失神するような声を上げてイった。
 夥しい量の精液は武の頭の上まで飛び散って、俺の顎下にもかかった。
 こんなに綺麗な顔をしていても、武の躰は男で、俺と同じように精液を吐き出しもするし、それを、俺のセックスでこんなに勢いよく飛び散らせているのかと思うと、俺は武のイった後も、少しも責めを弱めることができなかった。
 大きく腰を引いて、また突き上げる。武の体がベッドの上でひっくり返りそうになって、またきつく俺にしがみ付く。
「いっ、う……ひびき、ぃ……っ頭ン中まで痺れてくる、……ッ! イイ、イイよ、ぉ……っ俺、まだ、まだおかしくなる……っ良すぎるの、っもっと、……もっとして、もっと……――ッ!」
 武の肩を押さえて支えながら何度も大きく腰を使うと、武のものはまたすぐに勃ち上がってきた。
 武の顔は真っ赤に染まっていて、泣き出す寸前のような、しかしどこか弛緩したような表情で、がむしゃらになっている俺の顔を見上げていた。自分を汚す男の顔を。
 俺がその表情を見詰め返そうとすると、武は慌てて自分の顔を両腕で遮る様にして隠した。
「ふぁ、っ……あぁ、あ、……っあぁあんっ・あ、……!」
 その腕を力づくで押し開き、武の顔を露にする。まるで無理やり犯しでもするように武の腕をベッドの上に押し付けて、熱い剛直を武の中にねじ込む。突き上げ、掻き乱す。
「ひ……ッ・ぃあ、あぁああ、っ……ひびき・ぃ……―――!」
 俺の乱暴な仕打ちに武は歯の根が合わなくなったように泣き叫び、下肢までぶるぶると振るわせながら立て続けにイった。
 その媚肉の戦慄きに惑わされるようにして俺も、武と殆ど同時に男根を弾けさせ、武の中に溢れ出しそうなほどの熱い汁をぶちまけてしまった。

「……さっきのことって、何?」
 これ以上は、互いの皮膚を裂きでもしない限り一つに離れないというほどぴたりとくっついてくる武は、まだ溶けそうな熱を帯びた声で囁く。
「ん?」
 それでも俺がもっときつく抱き寄せようとすると、武は目を細めて幸せそうな表情を零した。
「否定しろって、言ったじゃん」
 舐めあげるように噛み付くように、武の唇が俺の頬に吸い付く。この甘えん坊め。
「ああ、……うん。……お前が消えてしまいたいとか、死ねば良いのにとか言ったこと、取り消せ」
 言うと、武の唇は今度は首筋に下りてきた。唾液に濡れた唇が擽ったいような、しかし武は俺のように所有印の一つでも付けたいと思っているのか、必死にちゅうちゅうと吸って来る。まるで赤ん坊だ。
「そんなこと、俺が許さない。偶には俺の言うことも聞けよ。お前はここにいなくちゃ駄目だ。お前が必要だ。…………判ったか?」
「……いっつもひびきの我侭聞いてあげてるじゃんよ」
 武は俺の首筋に顔を埋めたまま答えた。
 その頭を無言で、抱きしめる。俺の背中に回された武の腕も、きつくなった。
「ひびき、……好き」
 小さい呟きが、俺の肌から沁み込んで来るように伝わる。
「ひびき好き。ひびき、好き。ひびきが好きだよ。……好き、好き。すき、……ひび……っ」
 言っている内に、武の声が涙で震えた。後は低く押し殺された嗚咽になってしまうばかりで。
 俺は武の顔を覗きこむように首を竦めると、大粒の涙で濡れた瞼をぺろりと舐めた。驚いたように、武が大きく目を開いて俺を見上げる。
「……ひびきが、好き」
 頬をつんと突付いてやると、武の睫毛の上に溜まっていた涙がポロリと零れ落ちた。
「だから、……ずっと、こうしててくんないと、駄目だ」
 じゃないと、ひびきの言うこと聞いてやらない、と武は態とらしく撫すくれた。
「いいよ」
 膨れた武の頬に、俺は自分の頬を重ねた。泣きじゃくる武の頬の方が熱いと思っていたけど、そんな武とこれだけ密着している俺の体温も相当高くなっているようだ。まだ全身の汗だって引いてない。俺と武の体温は、殆ど同じだった。
「今日も、俺とずっと違うところにいた」
 唇を尖らせて、武がそっぽを向こうとする。
「だってお前が」
「ねえ、ひびきのこと好きだって言ったのって、あの女だろ? えーと、モリカワ?」
 またその話か。
 俺は小さく溜息を吐いて見せた。
「妬いてるのか?」
「当たり前だろ?! ひびきは俺のもんだって言ったじゃねえかよっ」
 いきなり本気で怒っているような声で武が目尻を吊り上げるものだから、俺は思わず、失笑した。
「何笑ってんだ……っ、この、本気で、俺は」
 怠惰な空気の淀むホテルの空気に合わないくらいの大きな声で笑い飛ばした俺を、武が至近距離から殴り飛ばそうとした。それを拳ごとぎゅうと抱きしめて、
「可愛いな、武は」
「――――……っ!」
 あ、久しぶりだ。武が耳まで真っ赤になるのを見るの。
「可愛い、本当に可愛いな、武は。大好きだ」
 真っ赤になりながらも、怒りの鉄拳から力を抜いた武はまだ唇を不服そうに尖らせたまま俺に擦り寄ってきた。
「いいよ、何でもしてやる」
 小さい動物を愛するように撫でると、武はちらと上目で俺を窺った。無防備な表情で、俺の唇を求めてくる。
「ん? どういうキスをして欲しい?」
 不思議と甘い香りがするその唇を短く啄ばんでから尋ねると、
「どういうのでもいいからっ!」
 じれったそうに怒鳴って、武は俺の上に馬乗りになった。キスと言うよりは唇をぶつけてくるようにして吸い付いてくる。
「な、武」
 その頬を掌で包んでやりながら、ゆっくりと離す。ただ引き剥がすだけではまた武に怒られそうなので、何度も隙間なく啄ばみながら。
「前から思ってたんだけど、武って、キス好きだろう? ……セックスはどう思ってるか、知らないけど」
 唇の表面を触れ合わせたまま、武の眸を覗き込んで訊くと、武はぷいと、そっぽを向いてしまった。照れ隠しのような表情をして。
「そんなことないよ」
 俺の上で力を抜き、どべっと潰れるように伏せた武の顔が、見えなくなった。
 ……これも照れ隠しだな?
「そんなことないって? キス、好きじゃないか?」
 ホテルの壁を眺めながら、武が小さく首を振る。武の汗の香りが漂ってきて、俺はまた性懲りもなく、少し劣情を覚えた。
「キスが好きなんじゃないよ、……セックスも、好きだもん」
 意地を張っているように答えた武の声は、かつてのものと同じだった。
 好きなことをして稼いだ金だ、と武は言った。
 そうじゃないから、あんなに自分の過去を呪っているくせに。
 俺は武の嘘を指摘する術も持たず、言葉を失った。
「何でも良いんだよ、……ひびきと、異常なくらいくっついていたいだけだ」
「…………っ!」
 あ、
 ああ、そうだ。
 そうだよな。
 今は俺がこいつの、全て、なんだ。
「キスも好きだよ。いっぱい、したい。セックスも大好き。ひびきが、すごい真剣に俺のことがんがん突きまくってくれんの、、テクニックとか、そういう次元じゃなくてすっげぇすっげぇ、感じんの。
ぎゅうってされんのも、好き。だってひびきは俺以外の誰のこともこんな風にはしないだろ? ……そりゃ昔はチサトのこととかこうしただろうけど……今は俺だけ、…………だろ? だから……」
 俺は、俺の上で尻蕾に言葉をなくした武を、力一杯抱きしめた。
「ああ、お前だけだ。知里のことは抱いたけど、……こんな風に抱きしめたくなったことなんて、誰にもない。
武が好きで好きで、武が『離せー』って喚いても、離したくない。こんな気分、……お前だけだよ」
 もちろん森川のことを抱きしめたりなんてしてないし。
 武は表情を見られたくないらしく俺の首筋に顔を埋めたまま大人しく俺の言葉を聞いていた。
「お前が好きだよ。だから、技巧とか気にしてられないくらいめちゃくちゃに犯しちまう。お前が俺のセックスで、今まで感じたこともないくらい乱れてくれる、それは、俺の気持ちが通じてるんだなって、今、すごく実感したよ」
 そういえば最初の頃はビジネスライクだった――ように見えた――武に俺の気持ちを叩きつけるような気持ちで、ひたすらがんがん突きまくったっけ。
 俺は何となく過去の自分を恥じながら、武の髪の上に自分の鼻先を埋めた。
「……ねぇ、ひびき」
 この呼び名にも、すっかり馴染んでしまった。
 武が身じろぐ。俺が顔を上げると、武が俺の顔を、間近で仰いだ。頬が桃色に紅潮していて、気圧されるほど美しい。
「俺、ずっとここにいるよ。ずっとひびきの傍にいる。どこにも行かないよ」
 武は俺に会ったせいで惨めになったと言った、それも確かに本当だろう。
 だけどそれは武を、本当に幸せにして上げられているということの裏返しなんだと、俺は自負している。
 武の過去まで、俺は変えられない。そのトラウマごと、俺は愛してやることしか出来ない。
 俺にはただひたすら武を愛することしか出来ない。それでも武が、良いというなら。
「ひびきが、好きだよ」
 武は俺の気持ちを見透かしたように言って、
 笑った。